Interview インタビュー

和服、その奥深き世界

知識の深さや幅広さは言うに及ばず、いつのまにかすっかり引き込まれてしまう巧妙な語り口も魅力的な共立女子大学教授・長崎巌氏のお話も、いよいよこの(3)で最終回。 「昔のきものってどれくらいの期間もったの?」等のレア話から、近代〜現代のきもの事情にいたるまで、読み応えたっぷりの内容をどうぞ。

第2回(3)

共立女子大学 家政学部 被服学科教授

長崎 巌 氏

後ろ姿こそ、きものの見せどころ!
ヨーロッパにはない装飾美で、きものそのもので勝負できる。
明治時代以降のきものについて教えてください。

インタビュー画像 18世紀以降の江戸時代には「武家女性が着ていたもの」「公家女性が着ていたもの」「町人女性が着ていたもの」「突出してお金持ちの町人女性が着ていたもの」の4つのグループがありますけど、明治以降は「町人女性」と「富裕層の町人女性」の2つの町人スタイルのきものが残ったんです。公家の女性たちは、公家の男性が洋装化したのに付き合わされて鹿鳴館などに行って小袖を着なくなり、武家女性も出世して政府に入った武士たちがいるので洋装化していくスピードが早かったんですね。明治・大正・昭和のきものを見ると圧倒的に褄模様や裾模様が多いですが、それは江戸時代の公家や武家の女性は基本的にそうしたきものを着ていなかったからなんです。

でも、現代のきものには総模様の華やかなものも多いですよね。

きものは職人さんが口伝えで作っているので第二次世界大戦後には職人も減り、昔から一本に連なっているのは江戸褄、現在の留袖のようなものしか残らなかった。戦後復興する時には元禄に戻っていこうという動きがあって、戦前のきものではなく江戸時代の元禄小袖などをコピーして作ったので、いろいろなタイプのきものが生まれることになったのです。今はより新しい美意識や価値観が入ってきて、技術も発達して、お出かけ着や訪問着といった現代のきものに結びついていますよね。私が教えている学生たちも最初の頃は着やすい二部式の変形きものなどを好んでいましたが、今は9割が本物のきものを着たいと言うんです。

どうしてですか。

着ることによって興味がわいて、もともとはどういう形をしていたんだろうと知りたくなって、古いものを見始める。そこに本質的に良いものがあるということをだんだんわかってきたということでしょう。講演などをしていても、昔は「先生わかりやすくお願いします」と言われて初心者向けの話をしていたのに、10年くらい前からは「そんな話は雑誌に書いてあるから要らない」と。「ちょっと難しいけど頑張って聞いてくださいね」という掴みで始まり「大学院生に話している内容です」と言うと喜ばれます。皆さん本質を知りたいという意欲が高まっているし、本物志向になっていますよね。

現在、きものを無形文化遺産にしようと活動しています。

きものが日本固有の服装文化であることは間違いないし、成り立ちとか社会的な役割などがあって長い歴史の中で育まれてきたものを世界にアピールするのは良いことだと思いますよ。特に女性のきものの装飾性においてはヨーロッパに全然ないものなんです。ヨーロッパの衣服はあくまで身体との組み合わせで、身体の線の補助なんですね。だから中で上げたり締めたりする必要があるけれど、きものは、きものそのもので勝負するものなんです。そして、きものと言えば後ろ姿。江戸時代、ファッションブックは初期から後期までずっと背中を見せていますからね。

そういえば見返り美人も後ろ姿がポイントですね。

菱川師宣の美人画がなぜ見返るかというと、縫箔をやっている呉服屋の息子だから、きものの見せ場は背中だとわかっていたんです。だけど美人画だから顔を見せないと話にならないので彼は苦労したでしょうね。江戸時代はきものの裾を引きずって着ていたけど、前を広げて着ないと転んでしまうから後ろからでも前身頃が見えるわけです。明治の一時期のきものに模様が前面しかないものがありますが、それは洋服の影響なんです。洋服はどうやら前から見るらしい、顔は前に付いているんだから前をアピールしたほうがいいんじゃないか、と。ちなみに裾が長いままだと外では引きずってしまうので、江戸時代は芸者さんみたいに手で持っていたわけですよ。だけど距離が長くなると大変だからと紐でしばったのがおはしょりの始まりです。武家はかごに乗ることを許されているからおはしょりはなく、明治になってもきものを着ていた人は町人だから、そのまま残っていまだにおはしょりがあるわけです。

素朴な疑問ですが、昔のきものの耐久性はどれくらいだったのでしょう。

長野県須坂市に田中本家という江戸時代の豪商の館を利用した博物館があって、そこで講演した際に大奥様に聞いた話によると、5回くらい着るとダメになるらしいですよ。秋の特別展で、蔵にある幕末のデッドストックを使って1着だけ仕立ているらしいのですが、正座をすると膝が抜けてしまうんだそうです。江戸時代のきものは、重さが今のきもののだいたい4分の1くらいだからなんですね。今は機械で打ち込むけれど当時は手ですし、絹糸も違いますから。柔らかくて軽いから全然疲れない。紬や木綿なら大丈夫でも、ちょっとでも刺繍があったら洗濯もできない。今残っている江戸のきものは武家のものが断然多いんですけど、それは少し汚れるとお付きの人にあげてしまうからです。その人たちは宿下がりまで着ないで大切に取っていたんでしょうね。町人はもっと長く着続けたでしょうから、現代まで残っているきものが少ないんです。

豪華でおいしいフルコースのお料理をたっぷりご馳走になった気分です。大満足!でもまだまだ別腹があります(笑)。
いつかまた、ご教授いただけたら幸いです。
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長崎 巌 先生 プロフィール

東京芸術大学で芸術学、工芸史を専攻し、東京国立博物館染織室長を経て、共立女子大学家政学部教授に就任。「Kimono Beauty-シックでモダンな装いの美 江戸から昭和-」(2013年)「Katagami―型紙とジャポニスム展」(2006年)などの企画展覧会を担当し、『日本の美術 小袖からきものへ』(至文堂)、『きものと裂のことば案内』(小学館)など著書も多数。

  • 1976年 東京藝術大学美術学部 芸術学専攻修了
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科(修士課程)工芸史専攻修了
  • 1982年 東京藝術大学大学院美術研究科(博士課程)芸術学専攻単位取得
  • 1982年 東京国立博物館学芸部法隆寺宝物室勤務
  • 1990年 東京国立博物館学芸部学芸部工芸課染織 室長
  • 2002年 共立女子大学 家政学部 被服学科教授
  • 2005年 きもの文化賞受賞

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